ゲオルギー・ヴァシレイヴィッチ・スヴィリードフの生涯

 ゲオルギー・ヴァシレイヴィッチ・スヴィリードフは、1915年12月16日に、ロシア帝国領のクルスク県で生まれました。生地は現在、ロシア連邦領となっており、その西側には隣国のウクライナがあります。

 スヴィリードフの生涯は、このロシア中心部を遠く離れた土地から始まります。ロシアの中ではヨーロッパに近く、また比較的南に位置する地域ですが、ロシア革命の動乱はここにも波及し、父親は革命派として処刑されたと伝えられています。4歳にして父を失ったスヴィリードフは、教師であった母の下に育ち、音楽の傑出した才能を広く認められていきます。

 1932年にスヴィリードフは、レニングラードの音楽学校に入学しました。レニングラードはモスクワと並ぶ重要都市であり、現在、この町の名は、サンクト・ペテルブルクに戻っています。ロシア帝国時代、ピョートル大帝の決断によって1703年に建設されたこの町は、ロシアの西方に開かれた窓でした。バルト海に面する港町であり、船に乗ればフィンランドとエストアニアの間を通り抜け、やがてオランダやイギリスにも到達します。ロシアとヨーロッパの混合した文化を発達させたこの町の音楽院で、スヴィリードフは、1937年からドミートリイ・ショスタコーヴィッチに学びます。

 ショスタコーヴィッチは、20世紀のソ連とロシアを代表する作曲家として世界的に著名です。そして、政治的な抑圧と音楽の自由を求めて葛藤し、独裁体制の暴力と文化との緊張関係を生きた芸術家としても知られています。ショスタコーヴィッチよりも10歳ほど年下のスヴィリードフも、恩師と同じ時代を生き延びました。1955年にモスクワに移ったスヴィリードフは、ソ連政府から優れた作曲家と認められるとともに、ロシアの文学と音楽の素晴らしさを後世に伝える仕事を重ねていきます。

 スヴィリードフの音楽は、永遠なるロシアの魂を表現するとも評されます。ロシア文学の至宝と呼ぶべきプーシキンの文学、その映画化されたものに曲を付した「吹雪」は、スヴィリードフの代表作の一つです。そして、エセーニンやブローク、パステルナークといったロシアの詩人の詩に曲を加え、文学と音楽の間に橋を架けてきました。そのロシアへの愛は、ソ連政府の意向よりもはるかに強く、スヴィリードフの内面に働きます。

 やがてソ連が滅び、混乱の時代が再来しました。そしてその混乱が続く中で、スヴィリードフは、1998年1月5日にモスクワで亡くなります。帝政時代に生まれてエリツィン政権下に没したスヴィリードフは、さまざまな政治的渦の中を生き延び、ロシアの文化を後世に伝える大きな役割を果たします。20世紀のロシアを生きた音楽家として、スヴィリードフの生涯は、ロシア文化の魅力と苦難を表現するものとなりました。

                         (文責:やまなしさぶろう)